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April 2741997

 チューリップ散って一茎天を指す

                           貞弘 衛

稚園や小学校の校庭の花壇に並び、子ども達と一緒に遊んだチューリップもそろそろ散り始める。愛らしく影ひとつない明るさが、学び始める子どもの心に溶け込む花だが、散ってしまえば誰も振り向かない。さびしく茎だけが天を指している。子ども達が何十年も後に知る心境である。(板津森秋)


March 0931998

 チューリップ買うて五分の遅刻して

                           岡田順子

ぎ足の出勤途中に、早咲きのチューリップが売っていた。とっさに職場に飾りたい気持ちが起きて、買う手間を費やしているうちに、遅刻してしまった。五分の遅刻が責められる職場なのだろう。遅刻の言い訳はできないが、買ってきたチューリップはやはり美しい。同僚たちも口には出さないけれど、気持ちがなごんでいるようだ。遅刻しても、買ってきた甲斐はあったのである。才気煥発という作品ではないが、最近の私は、むしろこういう句に魅力を覚えるようになってきた。雑誌「俳句」(角川書店・1998年3月号)の通巻600号記念特別座談会での黒田杏子の発言。「俳句って自分以上にまとまっちゃうところがある……」ところを極力避けて通っていこうとするならば、これも一つの意志的な書き方だと思いたい。絵の世界では、とっくに「ヘタウマ」の試みもあったことだし……。同じ作者に「すべりこむ電車はみどり日脚伸ぶ」などがある。「俳句文芸」(天満書房・1998年3月号)所載。(清水哲男)


April 1842003

 チューリップ喜びだけを持つてゐる

                           細見綾子

語「チューリップ」に名句なし。そう思っている。日本人好みの微妙な陰影が感じられない花だからだ。造花に近い感じがする。掲句は、そんなチューリップの特長を逆手に取っている。自註に曰く。「春咲く花はみな明るいけれども、中でもチューリップは明るい。少しも陰影を伴わない。喜びだけを持っている。そういう姿である。人間世界では喜びは深い陰影を背負うことが多くて、谷間の稀れな日ざしのようなものだと私は考えているのだが、チューリップはちがう。曽て暗さを知らないものである。喜びそのもの、露わにもそうである。私はこの花が咲くと、胸襟を開く思いがする。わが陰影の中にチューリップの喜びが灯る」。折しも、我が家の近くにある小学校のチューリップが満開だ。保育園や幼稚園にも、この花が多く植えられるのは、まだ人生の翳りを知らない子供たちによく似合うからだろうか。そう言えば、高校や大学ではあまり見かけない花だ。ところで、大人である掲句の作者はチューリップに「胸襟を開く思いがする」と述べている。ということは、むろん日ごろの心は鬱屈しているというわけだ。花そのものに陰影がないからこそ、花と作者との間に陰影が生まれた。名句とは思わないが、この着眼は捨てがたい。『桃は八重』(1942)所収。(清水哲男)


April 2842013

 咲き誇りたる北大のチューリップ

                           秋沢 猛

年度から、はやひと月が経とうとしていますが、通勤電車はまだ混んでいます。四月は希望をふくらませる月です。プロ野球ファンしかり、大学生もまたしかり。四月の大学のキャンパスは、一年で一番にぎわいます。新入生はもちろん、出席不良でなかなか単位がとれなかった筆者のようなダメ学生も、ゴールデンウイークの前までは、せっせと開幕ダッシュをしておりました。北海道大学、道民の憧れである北大のキャンパスを歩く新入生は、咲き誇っている色とりどりのチユーリップのような明るい心持ちでしょう。北国の春はこれからです。掲句は、広いキャンパスに咲き誇るチューリップに、北大生の誇りと大志を重ねています。「咲き誇り」という大仰な表現も、学生の姿とチューリップの色彩を重ねることで、一句のなかでなじんでいます。また、北大がもつバンカラで大らかなイメージにもむすびつき、東大や京大や九大や早慶よりも、北大にはチューリップが似合います。「俳句歳時記・春」(角川ソフィア文庫・2012)所載。(小笠原高志)


May 0752014

 チューリップ明るいバカがなぜ悪い

                           ねじめ正一

ューリップは春の季語だけれど、四月から五月にかけて色とりどりに咲き出す。バカにも「明るい」と「暗い」があるのか、正一さん?ーー確かにあるのだ。「明るいバカ」と言われて、私などがすぐ連想するのは「アホの坂田」であり、落語の与太郎さんである。落語の与太郎はなくてはならないキャラクターである。その明るいバカさ加減はどうにも憎めない。単なるバカというよりも人間の虚をついたり、常識を皮肉ったりと、バカにできない面があって一筋縄ではおさまらないおバカさんである。正一がここで詠む「バカ」に私は、チューリップのように明るい落語の与太郎さんを連想せずにはいられない。暗い陰湿なバカは願い下げである。(ホラ、そういうバカが世間に時々顔を出すではないか。)下五「なぜ悪い」に居直った様子がうかがえる。即ち、ワタシばかノ味方デス。掲句は田島征三の絵と組み合わさっている最新の絵本『猫の恋』(2014)のなかの一句。まちがいなく元気の出る絵本です。他に「ビリビリっと尻尾の先まで猫の恋」など、正一らしい楽しい句と絵十五組が収められている。まともな句は一つもない(?)という凄まじさ。帯の惹句に「絵と俳句のごっつんこ」とある。(八木忠栄)




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